2011年05月24日

してもらっていいですか

ある夜のこと、車で我が家に向かっていると、その丁字路を左に曲がれば我が家まで100メートルのところで、車を停めた。何と丁字路を塞ぐように大型のトラックが停まっているではないか。丁字路の一角にある工場に、これから荷物を降ろすところらしい。クラクションを軽くならすと、男が走りよってきたので、トラックを少し下げるように頼んだ。

その男曰く、「これから荷物を降ろすところなので、あそこまでバックしてもらっていいですか?」意味が分からないので、「エ?」と聞き返すと、少し語気を荒げて「あそこまでバックしてもらっていいですか?」と同じ言葉を繰り返す。やっと飲み込めた。「あそこまでバックしてもらえますか?」という意味らしい。農村地帯の街灯一つ無い狭い夜道を50メートルもバックしろと言うのだ。トラックはこれから荷物を降ろすところだし、そっちがバックして私を通すのが筋道であり人情である。それを曲げて優先権を主張するわけだから、男は可能な限り丁寧な言葉遣いを試みたのであろう。

人にものを頼むときは、「○○してください」「○○していただけますか」「○○してもらえますか」などなど、色々な言い方が考えられる。後に「お願いします」とか、「そうしていただけると助かります」とでもつけ加えたら、言われたほうは快く、時には不承不承でも聞き入れてやろうという気になる。しかし「○○してもらっていいですか」と言われると、言い手の行為の許可を求めていることになって、主客が混同して理解しにくい。敬語や丁寧語は、十分理解した上で使わないと却って無礼になることがある。無理な敬語や丁寧語を避けて、相手の心を逆なでしない、相手を思いやった普通の表現を心がけるべきだ。



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2011年05月23日

いらっしゃる

最近のテレビのコメントでは、第三者や一般的な描写にも「いらっしゃる」を使う。ひどい場合は、犬や容疑者についても「いらっしゃる」と言う例も見受けられる。「おる」は見下した言い方だが、「いる」にはそういう優劣の感情が無い。「津波で家を流された人がいらっしゃる」は、「津波で家を流された人がいる」で十分だ。

「いらっしゃる」は、「いる」「来る」「行く」の敬語として使われる。ある会社の社長の先輩が社長を訪ねてきて、「社長はおられるかな?」と問うたとしよう。受付嬢がこんなふうに答えたとすればどうだろう。「先ほどまでいらっしゃったんですが、ご自宅からの電話で急いでお宅へいらっしゃいました。30分でこちらにいらっしゃるとのことですから、数分でいらっしゃるでしょう。お待ちになられますか?」あり得ない話しではないが、奇妙な言葉遣いだ。来客は目上だし、仮に目上でなくとも、敬語は来客に対して使っても、社長には普通の言葉遣いがいい。

「検便で潜血反応がプラスの方には、大腸がんが疑われる方がいらっしゃいます。しかし潜血反応がマイナスであっても、初期の大腸がんの方もいらっしゃいます」というコメントがあったとしよう。特定の誰彼を例にしているわけではないのだから、「いらっしゃる」は「いる」がよい。日本語の敬語は、相対的なものだから、相手との関わりで、相手を重んじて言う場合に使う。教師が生徒に、課長が課員に、医師が患者に使う性質のものではない。ことさら奇妙な日本語を使うことなく、誤解の恐れの無い言葉遣いを心がけるべきだ。


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2011年05月09日

いただく:くださる


NHK総合テレビの『ダーウィンが来た』は、毎回楽しく観ている。今回は『ナマケモノはなまけもの?』という、撮影での苦労の跡の見える番組だが、せっかくの苦労を「案内していただいたのは、ブライトン・ボイリーさんです」というナレーションでぶち壊した。明らかに「案内してくださったのは、ブライトン・ボイリーさんです」の誤りだ。アナウンサー自身の原稿をよんだのか、人から与えられたものか、チェックが入らなかったのか、疑問が残るが、NHKはゴンビントガメを門前払いした前歴があるので、放置するしかない。音声だけが頼りのTBSラジオでも、「ご説明いただくのは○○先生です」という言い回しが、普通に流れているのも事実だ。ここにもゴンビントガメの不在が見られる。

こういう間違いが起こった原因は、第一に主語を普段から省略していて、意識の中にも動作の主体が失われているからだろう。第二には、相手の立場ではなく、自分の立場で発想するという、一見相手を思いやっているかのような日本語的な発話に原因があるようだ。英語には訳せないような受け身表現もその現れだが、よく考えてみると、相手を思いやっているのではなく、自分を正当化している現れと考えられる。「風邪をうつされちゃった」のは、自分の不注意か抵抗力の低下が原因のものを、人のせいにしているんだから。

中部電力が浜岡原発の運転停止を求める政府要請への結論を持ち越したことに関して、菅直人総理はテレビのインタビューに答えて、「しっかり話しをして、理解してもらいたい」と述べた。しかしながら、誰が何について話しをするかも言ってないし、誰が何を理解するかも言外のままだ。話し合いをとは言っていないが、善意で解釈すれば、役員会などで話し合って、菅総理の決断を理解したうえで、原発運転を停止すると結論して欲しいのだろう。この話しを中部電力の首脳陣が受けたとして、取締役会や株主総会で議論した結果、菅総理とは異なった結論に達したとしたとすれば、それも立派な理解の仕方だ。聞き手が勝手に補って、自分に都合のいいように解釈することを期待しているのだろうが、世の中は都合のいい善意ばかりではない。言葉の端々や言い回しに、言い手の無責任さがにじみ出る。一国の総理大臣はもとより、選良たる議員諸君や補佐する官僚、原発事故の当事者である東京電力は、国民を思いやり、国民が正しく理解できる表現で、常に真実を語るべきだ。


posted by シャノワール at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 丁寧語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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